特別客番 大念佛寺

日本十三宗のひとつである融通念佛宗の総本山。本堂は大阪府下最大の木造建築であり、国の登録有形文化財である。

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特別客番札所

法語=十界一念 融通念佛

◆大阪府大阪市平野区平野上町一ー七ー二六  TEL06(6791)0026

宗祖良忍上人(聖應大師)

平安時代の後期、延久四年(一〇七二)知多半島に生まれた良忍上人は、十二歳で比叡山に登り出家しました。天台密教の学問を深め、二十一歳の若さで講主を務めるに至りますが、二十三歳の時、真の仏道を求めて山を下り、大原に移り住みます。

そこで一日六万遍の念仏を唱え、苦行を重ね、法華経等あらゆる教典を読破書写し、来迎院を開創、浄蓮華院を復活建立しました。そして永久五年(一一一七)四十六歳の五月十五日、阿弥陀仏から融通念佛を直授されます。この時をもって本宗の開宗と定められています。

法然上人の浄土宗開宗は、それから六十年後、親鸞上人の浄土真宗開宗は百年後のことです。上人は鳥羽上皇のあつい帰依を受け、名帳の序文と記名に加え、愛用の鏡を鋳なおした鉦を授与されました。

生涯を念仏の弘通に捧げた上人が四天王寺に参籠の折、聖徳太子の夢のお告げがあり、大治二年(一一二七)摂津平野に根本道場として大念佛寺を創建しました。長承元年(一一三二)、大原来迎院で没。後、安永二年(一七七三)後桃園天皇より「聖應大師」の大師号を授与されました。

中興の祖法明上人
再興大通上人

その後大念佛寺に伝わる宗門の法灯は、第六世良鎮上人が寿永元年(一一八二)に没してのち百三十九年間中断。融通念佛の法儀、宗要の密意、霊宝のことごとくが石清水八幡宮の男山の社殿に蔵されていました。

元亨元年(一三二一)十一月十五日夜、石清水八幡大士が法明上人(一二七九~一三四九)のところに現れ、あなたこそ融通念佛の法灯を受けつぐ人であると告げ、口伝を授与。さらに社殿に預かっていた霊宝を返還する旨を伝えました。

同様のお告げを受けた八幡宮の社人と法明上人の一行が、たまたま茄子作(枚方市)の里で出会い、霊宝の授受が行われました。法明上人は中興の祖として大念佛寺の旧跡、修楽寺を復興し、念仏勧進の本拠地として郷村を中心に活動。念仏共同体としての講を組織し、「村々の念仏」として末代に信仰を伝えました。現在、河内、大和を中心に存在する融通念佛宗の教線は法明上人によってその基礎が固められたのです。

法明上人の念仏共同体を、規律ある一宗の形にととのえたのは大通上人(一六四九?一七一六)でした。元禄元年(一六八八)、将軍綱吉から宗門復興の命を受けた大通上人は一大宗門改革を行います。

その内容は、一、教学の確立 二、檀林(僧侶の学問所)の設置 三、本末の統制 四、本山の整備拡張 五、法儀の制定と法要の活性化――というものでした。大通上人の改革によって大念佛寺は諸堂を営備し、法儀の要具を完備し、一宗の本山として整えられたのです。現在二万四千平方メートル(約七三〇〇坪)の境内に、大小三十余の堂舎が甍を並べています。

亀鉦縁起

中祖、法明上人が加古川の教信寺へ船に乗って参詣の途中、暴風にあい、あわや船が転覆しそうになりました。上人は宗祖良忍上人が鳥羽上皇より賜った、鏡を鋳変えた鉦を海中に投げ込むと、波は静まりました。

帰路、この海中に投げた鉦を亀が法明上人に返しにきたということです。それでこの鉦を亀鉦と呼び、大念佛寺の別の名を亀鉦寺というのです。亀鉦は当寺の大切な寺宝の一つです。

弥陀直授の十一尊天得如来

大念佛寺の本尊は絵像で、広大な本堂の厨子の中に安置されています。寺伝によれば、宗祖、良忍上人が大原の来迎院で念仏を唱えていると、目の前にこつ然と阿弥陀如来が現れ、上人に融通念佛の功徳を教えて姿を消されました。そのとき一枚の白絹が舞い落ちてきたので、見れば、今しがた現れた阿弥陀如来を中心に十体の菩薩がついておられる姿であったということです。その絵像が今日に伝わる本尊「弥陀直授の十一尊天得如来」と呼ばれるものです。